ponchichi’s blog

こんな世の中で癒し人間を飼い始めたので絵日記で記録する

20年以上苦しんできた顔面のコンプレックスを祖母の死で克服した話

今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」

 

 

お題とは関係ないようですが私には物心ついた時からずっと心の半分を暗くしているコンプレックスがあります。

コンプレックスと言うとカジュアルに聞こえるから嫌悪感の方が合ってるかも。

一重、小さい口、丸顔。

「睨まないで」と最初に言われたのはいつだったかな。

詳しい状況は忘れたけど、そういう時はたいてい話しかけたくてこの子を見てただけだったんだよなぁ。

いろんな場所でそう言われるからうつ向きがちになって印象も暗くなっていくばかり。

そしたら大人は明るい子供を好むから、更に私の立場は弱くなる。

そこからは負のスパイラル。

視線の先に人がいたら睨まれたと言われる→俯きがちになる→自信がなくなりコミュ障になる→友達が少ない→誤解されても誤解が解けない→悪い子だと思われる→俯きがちに・・・の堂々巡り。

大人になった今なら、まずこちらから話しかければいいんだと分かるけど子供の私はどうしようもなくて、でも原因がわからないのに苦しいのはイヤで、5歳になるころには自分はブスだから嫌われるんだと思っていました。

 

そうして現在22歳。人生で自分をブスだと思わなかった瞬間なんてほとんど無い。

小学1年生の初めての自己紹介の時あまりの自信の無さに声が出なかった事

授業中元々の喉の弱さとストレスで咳をしていると「ゼーヒュー」という喘息交じりになったけど助けを求めるという発想がなくて自力で呼吸を整えたり(このスキルは役立ちました(笑))

高校では一部のクラスメイトから見た目を嫌われ軽い虐めに遭いましたが、ブスだしなぁって虐めっ子に共感すらして。

友達と笑いあっていても心の半分ほどは、私ブスなのに笑ってる…その事実を自覚するだけでおなかの底が冷たくなるような恐怖に駆られ、表情に出さないように心の中の恐怖を見て見ぬふりをし続けていました。

 

 

そんな私が育った実家には両親、父方の祖父母と住んでいます。

けどこの記事で書くおばあちゃんの話は、遠く離れたところに住んでいる母方の祖母のこと。

 

昔から畑に勤しみ、当時7人だった家族全員分の家事をし、節約をし、地道にコツコツ貯金をし、家族の人生の節目を丁寧に祝い、自分のことはとことん我慢をしているおばあちゃんです。

そして遠くに住む私や妹弟のお宮参りや七五三の着物を用意してくれ、入学祝いや誕生日には母にこっそりお金を渡してくれるおばあちゃんです。

よく私に「お母さんとよう似てる」と言い、私が成人式を迎えた後日写真を見て母の成人式の写真を取り出し無言で差し出したその写真には自分でも笑ってしまうほど、私にそっくりな母の着物姿がありました。

そんなおばあちゃんに対して、THEゆとり世代の私は憧れたり見習ったりはしない。

けれどおばあちゃん自身が大切だと思う事のために地道な努力をする生き方はものすごく立派だ心底思っている。私には到底できない生き方をしている人だからこそ尊敬している。偉大だと思っている。

 

一方私の母はと言うとやっぱりちょっとおばあちゃんに似ている。

仕事も家事も気が済むまでやらないと休めない人。だからいつも疲れていて、仕事も家事も終わった後、ベッドへ行く前にリビングで仮眠している。

この生き方も、私にはできないなぁと思う。ただ、その性格ゆえに苦しんでる姿を小さいころから見ていたので母に対する気持ちは尊敬にはならなかった。

 

 

 

唐突だけど、先月おばあちゃんが亡くなった。

施設の中でこけてしまい、打ちどころが悪く数日入院した後息を引き取った。

最近認知症気味だったけど、もう少し長く生きるんだろうと思っていた。

亡くなったと連絡を受けた時、私は友達と近くの観光名所に行ってお喋りが楽しくてたくさん笑って帰路についた頃だった。

入院しているとは聞いたけど。安定していると知らせがあったのに。私が今日他愛無い話で笑ってる頃に死んだのかな。家に帰って作るごはんのメニューも珍しく決まっていたのに…とか考えてしばらく死を直視できなかった。

とにかく同居してるヒモでペットのぽんちちには軽く事情を話して暗い色の服に着替えて家を出て、一時的におばあちゃんを寝かせてもらっている生前入居してい施設へ。

 

 

 

施設につき、安置されているおばあちゃんと対面した時、私が22年間絶えず私に絡みつき苦しませてきたコンプレックスが無くなることになる。

 

 

 

おばあちゃんの顔は、疲れて寝ている母にそっくりだった。

母の若い頃は私にそっくりだった。

私はおばあちゃんを尊敬している。

 

その事実が私の心の中で瞬間的に繋がり、気づけば顔に対する嫌悪感は波が引くように消えていた。

閃きみたいに一瞬のことで、自分でも「あれ?」と思うほど呆気なかった。

物心つく頃から心の重りみたいに居座って苦しんでいたものが瞬間的に消えて楽になって少しの間呆然とした。

 

だってずっと苦しかった。綺麗になれるようにダイエットもして、少しでもマシになれるようにメイクも工夫して、お金が無いなりに化粧水は頑張って合うものを探して値が張るけど使い続けて、この顔に対する嫌悪感は努力で何とかするしかないと思っていた。いろいろ悩んで立ち向かっていた。でも消えなかったコンプレックスが予想だにしていない場所とタイミングで溶けて無くなったから。

 

ブスとか、美人とか、そんな問題じゃない自己肯定感がふと湧き上がって嫌悪感をきれいさっぱり消していた。

 

 

よく、整形の話題の時に使われる「親にもらった顔」という言葉はお気楽すぎる言葉だと思う。今も思う。「そんなこと本人だって承知の上で苦しんでるのに低次元な発想で口挟むな。」もしくは「子供がみんな親を良く思ってると思うような人は相談相手に向いてないな。」って思う。

だから書き方を工夫しなきゃならない。

 

私個人の実感としては”本当の悩みの根底は実物の顔の造形のことではない”とこの時初めて気がついた。

小さい頃からの自己肯定感の無さ、自分を肯定していいきっかけを感じられないままあるいは気づけないまま22年も生きていたこと。これだった。

だからこの瞬間まで引きずってしまったけど、私は尊敬する人と似てるんだ。ずっと似てたんだ。おばあちゃんと母を通して繋がっているからと言って、おばあちゃんの今までの努力が私のものになるわけではない。私自身は偉くも賢くもない。だけど理屈じゃない感性で自身を肯定するには充分だった。

 

 

長い間苦しんだと思う。幼少期や学生時代が楽しかったなんて口が裂けても言えない。

でも今なら堂々と「今が人生で一番楽しい!」と言える。

おばあちゃんっ子でもなかったのに、現金な奴だと自分でも思うけど、この自己肯定感は財産だ。

今の日々は低所得だけど、彼氏のぽんちちはヒモでペットだけど、仕事は毎日たくさん頭を使うし疲れるけど、今が一番胸を張って発言できている。ぽんちちも「ブス」とからかいながらも私の力になってくれている。それを笑い飛ばせるくらい好かれている実感がある。

綺麗になる努力はこれからもするけど、前より気持ちがとても楽。

おばあちゃんが死んだとき、私なりに財産を受け取れてよかった。本当によかった。

いつも遠くからお祝いしてくれていて、少しずつ知らない間に援助してくれていたから形式的にお礼を言うだけで済ませてしまっていた時もあった。

けどこれは一生私の糧になる財産なのは間違いない。

きっと、私はもう二度と自分の顔で苦しまない。世間一般の基準で言うかわいい顔でも美人でもないけど、私には祖母を最後に見た時に得た自己肯定感がある。

もう大丈夫。

給料日なのでとんかつ作った

 

毎月15日が給料日です。

 

今月から計画的にお金を使おう。そう決めて数分、今日貯金から出金して買い物してたことに気が付いた……

 

それは、まあ、もう仕方ないから置いておいて。

低所得の私だけど今日だけは思いきって3センチくらいある豚ロース2枚800円と

チータラと激辛柿の種とカシューナッツと特売だったじゃがりこ4種類を購入。

 

豚肉をトゲトゲのローラーでいじめ、すりおろし玉ねぎをまぶし追い打ちをかけて冷蔵庫で凍えさせ肉を柔らかくし、高温の油でとどめを刺し出来上がったとんかつをペットのぽんちちと食べ、二人で満足し、今カシューナッツとチータラをぽんちちが喜んで開けたところです。

良い週末になってるなぁ、めでたしめでたし。

 

台風来るけど外に出る予定がないからオールオッケー♪

 

ああねむい、おやすみなさい

小さな工夫から発展してどんどん高度になっていくのが人間なのだ

こんばんは。

 

体って人によっていろんな触り心地がありますよね。

叩き続けたくなるような弾力オバケみたいな人、かたーい人。

うちの人間ペットのぽんちちはしっとりふわふわの上質な脂肪を薄く纏ってる人。

ぽんちちの体で作ったベッドが欲しい。

 

 

 

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癒しグッズを体中に纏っているのにサービスが悪いのが難点。

ぽんちちは力が強いから反撃されるとたまったもんじゃない。頭は硬いし、手をぎゅっと絞められてるときは(こいつはゴリラか?)と思う。

 

「私は仕事で疲れてるから癒して!」と言うと

「俺も仕事(選択物干し)した!」って言う。

「偉いね!」って言うと

満足げにパンツを脱ぐ。おしりをフリフリする。ちんちんも振り回す。

私はちんちんを指さして大笑いする。

それでひとしきり。

 

 

 

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こうして頭をモコモコにしておくとモコモコを殴りたくなるだろうという心理を利用して頭におびき寄せられる。

タオルのクッションに衝撃が吸収されてぽんちちの攻撃は怪力→微力になる。

狙い通り。

 

けどこれも長引くと痛いな。まだまだ作戦を考えないと。

捨てるのが面倒

んもう!

「壁を築くな」なんて言葉、日常生活で使う日が来るなんて思ってもみなかった…

 

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愛用しているもの。こぶしが入っても余りあるマグカップ。

 

お題「愛用しているもの」

 

お題スロットとやら、いいお題を出される。

 

 

愛用しているものは何といってもこのマグカップ。

 

 

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私の手、18㎝はあって女性としては大きな方だと思うのですがすっぽり入るんですよ。

気に入ってる理由は2つ。

 

まず水分をたくさん取りたい。1日2ℓ飲んでいたい。そんな食欲ならぬ飲欲(←漢字の字面で伝われ…無理に読み方考えないで。別物になるから。)を満たしてくれるこのマグカップはかなり重宝しています。

なんてったってこれ一杯で350㎖は余裕で入るから。

 

そしてこのマグカップが私の右腕となったもう一つの理由。

数々の死線を潜り抜けてくれたから。

購入から毎夜使い続け3か月頃、洗い物をしていたら落としてしまいました。床に。

だいたい高さ1mはあるわけでマグカップ自体も重く、手が滑ったとたん絶望しました。

台所マットは洗濯中。これから間もなく床と衝突する愛しのマグカップをただ見送るしかできなかった。着地までの間にいろんなことを思い出しました。

購入時の「キミにきめた!」感、初めて得たお茶汲み一回で済む快適さ、スヌーピーへの愛、家族のコップを縮こまらせながらコップ置き場に置くのに苦労したこと。走馬灯のように頭に駆け巡り悲痛な叫びをあげたのものの、当のマグカップは鈍い音を立ててすまし顔で転がってるだけでした。

見事に無傷で生き残っていたのです。

無傷です。(床はすこぉ~しへこみました。家族には内緒です。)

オリンピック女子バレーで日本がサービスエースを取った時のような歓喜が込み上げました。

そんなことが私の不手際で数回ありましたが今尚健在。

このマグカップをコップ界のボスだと思い毎日使っている次第でございます。

 

 

ちなみにこの強くたくましく頼りがいのあるウルトラキューティーすまし顔のスヌーピーマグカップはUSJのお土産屋さんで購入したものですので持ってる人も多いのでは。

8月中旬に行った時には残り少なくなっていたから、もしコップ界のボスを手中に収めたい・コップ界のボスに拳を納めたい人がいたらお早めに。

 

二十歳を過ぎた男児

 

私が「ちんちん」や「おしり」で結構笑ってしまうからうちのペットがおかしなことになってしまいました。

 

 

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お絵かきできた

 

 

 

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ひとつ前の記事にも書いたけど、おうち犬の人間・ぽんちち(人間の青年)と暮らしています。

上質の薄い脂肪を身に纏い、お家で毎日洗濯物干しとゲームをがんばるかわいいやつ。それがぽんちち。

 

仕事をしてる私には毎日ちょっとずつ違う出来事があり、毎日部屋にいるぽんちちとも普段とは違うことがちまちまと起こります。

 

ひとつひとつ些細なことだけど、どれだけ伝わりやすく漫画にできるだろう。

さて、「インスタ映え」が持て囃される昨今の流行を逆走するようなブログだけど、ぼちぼち続けて行こう。